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シリーズ「私とミスタープロ野球」(1)

シリーズ「私とミスタープロ野球」(1)

1994年、10月8日。

その日わたしは、いつものように、友人のH君と一緒に小学校のグラウンドにいた。

買ってもらったばかりの、Jリーグのエンブレムがプリントされたサッカーボールをひたすら転がしていた。

ひとしきりサッカーに明け暮れたのち、夕暮れ前に帰宅をする。

疲れ切っていた私は、意識を失って祖母の部屋の隅で寝てしまった。

しばらくして目を覚ますと、家族みんなが、居間に集まっていた。

当時の我が家は祖父母、父母、私を含む子どもたち、の3世帯で暮らしていた。

祖父母との食卓は別だったが、なぜか大人たちが、テレビの前に集結していたのだった。

ブラウン管に目をやると、野球の試合が行われていた。

大きなスタジアムが映っていた。どうやら、「ナゴヤ球場」という、どこか遠い街にある球場のようだ。

「ちぇっ、またヤキュウかよ

野球ーー。

この単語を聞くと、いつも頭に思い浮かぶことがあった。

「テレビを占拠される」

これは、恐るべきことだった。

番組のことはよくわからないけれど、ワイワイガヤガヤしているテレビは、なんとなく好きだった。

そして、スーパーファミコンに没頭していた。

近所のお兄ちゃんから借りている、スーファミソフトのドラクエ5とファイナルファンタジー4のレベル上げもしたい。

それが、平日の夜と週末の昼の、ほぼ毎日数時間、ヤキュウとかいう、よくわからない小難しいスポーツに奪われるのだ。

しかも、このヤキュウというスポーツは、とてつもなく退屈なのだ。

選手はダラダラ動いているように見えるし、なんだか「止まっている」ようにもみえる。大人たちは、何が面白くてこんなものを観ているのだろう。たまったもんじゃないよ

毎日同じような試合をやっているんだから、いいじゃん。ゲームをやらせてよ、と言うと、大抵は、こう言われた。

「いま、いいところだから、我慢しなさい」

そして、その「いいところ」は試合の最後まで続くのだった。

よくわからないよ

両親は、「ジャイアンツ」という、だいだい色のチームを応援しているようだった。

というよりも、テレビ放送自体が、このチームを中心に放送していたように思われた。ほかに赤や青のユニフォームを着たチームがあるはずだが、そういうチーム同士のテレビで観た記憶がほとんどない。ほとんどの試合で「ジャイアンツがどうのこうの」と言っているのが印象に残った。

そうか、強いチームなんだ。サッカーで言えば、僕が好きなヴェルディ川崎や、鹿島アントラーズみたいなものなのかな、などと認識をした。

さて、嫌な気持ちで居間の片隅に腰をおろしていると、「ベンチ」と呼ばれる場所で、腕を組んでじっとグラウンドをみつめる、優しそうなおじさんの姿が何度も目に入ってきて、やけに印象に残った。なんだかとても偉い人のようだ。

そのおじさんの姿が映ると、家族の誰かしらが、ああだこうだと、何かを喋り出していた。

また、「オチアイ」という人が、よくわからないけれど大活躍をしていたらしく、何度も何度も、その名前を読み上げられていた。

父親は「マツイがこういう目をしているときは、調子が悪い。打てないんだよなあ。純平、おまえもよく見比べてみろ」となどと、頼んでもいないのに、私に向かって解説してくる。

試合を観るというよりは、大人たちの反応を見る方に気持ちを向けていると、いつのまにか、試合がどうやら佳境を迎えたようだ。

テレビをみると、優しげなおじさんがニコニコしている。

いつの間にか、ボールをずっと投げ続けているおじさんが「クワタ」というスラっとしたお兄さん風の人に変わっていた。その「クワタ」がボールを投げたあと、テレビのスピーカーから「ワーッ」という大音響が聞こえてきた。

選手たちが一箇所に集まり、優しげなおじさんを取り囲んだかと思うと、なんと空中に放り投げている。これは見たことがある。「胴上げ」というやつだ。

誰も彼もが、ものすごい喜びようである。

私の家族は、というと、みんな大歓声をあげていた。

とくに、大好きなおばあちゃんが満面の笑みを浮かべて私の両手を取り、繰り返し一緒にバンザイをしたことがとても印象に残っている。

普段は非常に饒舌で、物知りな祖父は、野球に関してはあまり発言をしなかった。しかしこの日は「〇〇は大したもんだなあ」というようなことを呟いていた(「◯◯(名前)」は、テレビから聞こえてくる、割れんばかりの大歓声にかき消され、よく聞き取れなかったことをよく覚えている)。

家族のだれもが、みんな笑顔だった。

幼い妹ふたりは、大はしゃぎをする大人たちの姿にびっくりしたのか、泣いていた。

ふたたびテレビに目をやると、あの優しげなおじさんが大写しになり、話を始めていた。

優しげな顔の印象そのままに、優しげな語り口で、優勝した喜びを語っている。難しいことはほとんど言っていないように思われた。

この優しいおじさん、「ナガシマ監督」というらしい。

祖父が「大したもんだなあ」と言っていたのは、このナガシマ監督のことだったのだ。

ふと、テレビすぐ横の壁に貼られた、自由帳ほどの大きさの日めくりカレンダーに目をやると「1994年10月8日」とある。

これが、私が思い出せる、もっとも古い記憶だ。

もう20年以上前のことであるにも関わらず、今も鮮明に覚えている。

「ヤキュウ」「ナガシマ監督」「マツイ」「オチアイ」「クワタ」という単語とともに。

(あと、父親が「タツカワがどうのこうの」とブツブツ言っていたことも)

みんながこんな楽しい状態になるのなら、僕も野球を覚えてみたい。ただ、おそらく自分ではプレーしないだろうけれど

そんなことを思ったことも、よく覚えている。

この日のことは、今後の人生のあらゆる場面で、立ち上がってくることになる。

その1年後、野球部に入部をして、自分で実際にプレーをし始めてから、この1994年10月8日という日に起きていたことは、とんでもないことだった、ということが徐々にわかるようになってくるのだった。

(つづく)

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