1994年、10月8日。
その日わたしは、いつものように、友人のH君と一緒に小学校のグラウンドにいた。
買ってもらったばかりの、Jリーグのエンブレムがプリントされたサッカーボールをひたすら転がしていた。
◆
ひとしきりサッカーに明け暮れたのち、夕暮れ前に帰宅をする。
疲れ切っていた私は、意識を失って祖母の部屋の隅で寝てしまった。
しばらくして目を覚ますと、家族みんなが、居間に集まっていた。
当時の我が家は祖父母、父母、私を含む子どもたち、の3世帯で暮らしていた。
祖父母との食卓は別だったが、なぜか大人たちが、テレビの前に集結していたのだった。
ブラウン管に目をやると、野球の試合が行われていた。
大きなスタジアムが映っていた。どうやら、「ナゴヤ球場」という、どこか遠い街にある球場のようだ。
「ちぇっ、またヤキュウかよ…」
野球ーー。
この単語を聞くと、いつも頭に思い浮かぶことがあった。
「テレビを占拠される」
これは、恐るべきことだった。
番組のことはよくわからないけれど、ワイワイガヤガヤしているテレビは、なんとなく好きだった。
そして、スーパーファミコンに没頭していた。
近所のお兄ちゃんから借りている、スーファミソフトのドラクエ5とファイナルファンタジー4のレベル上げもしたい。
それが、平日の夜と週末の昼の、ほぼ毎日数時間、ヤキュウとかいう、よくわからない小難しいスポーツに奪われるのだ。
しかも、このヤキュウというスポーツは、とてつもなく退屈なのだ。
選手はダラダラ動いているように見えるし、なんだか「止まっている」ようにもみえる。大人たちは、何が面白くてこんなものを観ているのだろう。たまったもんじゃないよ…。
毎日同じような試合をやっているんだから、いいじゃん。ゲームをやらせてよ、と言うと、大抵は、こう言われた。
「いま、いいところだから、我慢しなさい」
そして、その「いいところ」は試合の最後まで続くのだった。
よくわからないよ…。
◆
両親は、「ジャイアンツ」という、だいだい色のチームを応援しているようだった。
というよりも、テレビ放送自体が、このチームを中心に放送していたように思われた。ほかに赤や青のユニフォームを着たチームがあるはずだが、そういうチーム同士のテレビで観た記憶がほとんどない。ほとんどの試合で「ジャイアンツがどうのこうの」と言っているのが印象に残った。
そうか、強いチームなんだ。サッカーで言えば、僕が好きなヴェルディ川崎や、鹿島アントラーズみたいなものなのかな、などと認識をした。
さて、嫌な気持ちで居間の片隅に腰をおろしていると、「ベンチ」と呼ばれる場所で、腕を組んでじっとグラウンドをみつめる、優しそうなおじさんの姿が何度も目に入ってきて、やけに印象に残った。なんだかとても偉い人のようだ。
そのおじさんの姿が映ると、家族の誰かしらが、ああだこうだと、何かを喋り出していた。
また、「オチアイ」という人が、よくわからないけれど大活躍をしていたらしく、何度も何度も、その名前を読み上げられていた。
父親は「マツイがこういう目をしているときは、調子が悪い。打てないんだよなあ。純平、おまえもよく見比べてみろ」となどと、頼んでもいないのに、私に向かって解説してくる。
◆
試合を観るというよりは、大人たちの反応を見る方に気持ちを向けていると、いつのまにか、試合がどうやら佳境を迎えたようだ。
テレビをみると、優しげなおじさんがニコニコしている。
いつの間にか、ボールをずっと投げ続けているおじさんが「クワタ」というスラっとしたお兄さん風の人に変わっていた。その「クワタ」がボールを投げたあと、テレビのスピーカーから「ワーッ」という大音響が聞こえてきた。
選手たちが一箇所に集まり、優しげなおじさんを取り囲んだかと思うと、なんと空中に放り投げている。これは見たことがある。「胴上げ」というやつだ。
誰も彼もが、ものすごい喜びようである。
私の家族は、というと、みんな大歓声をあげていた。
とくに、大好きなおばあちゃんが満面の笑みを浮かべて私の両手を取り、繰り返し一緒にバンザイをしたことがとても印象に残っている。
普段は非常に饒舌で、物知りな祖父は、野球に関してはあまり発言をしなかった。しかしこの日は「〇〇は大したもんだなあ」というようなことを呟いていた(「◯◯(名前)」は、テレビから聞こえてくる、割れんばかりの大歓声にかき消され、よく聞き取れなかったことをよく覚えている)。
家族のだれもが、みんな笑顔だった。
幼い妹ふたりは、大はしゃぎをする大人たちの姿にびっくりしたのか、泣いていた。
ふたたびテレビに目をやると、あの優しげなおじさんが大写しになり、話を始めていた。
優しげな顔の印象そのままに、優しげな語り口で、優勝した喜びを語っている。難しいことはほとんど言っていないように思われた。
この優しいおじさん、「ナガシマ監督」というらしい。
祖父が「大したもんだなあ」と言っていたのは、このナガシマ監督のことだったのだ。
ふと、テレビすぐ横の壁に貼られた、自由帳ほどの大きさの日めくりカレンダーに目をやると「1994年10月8日」とある。
◆
これが、私が思い出せる、もっとも古い記憶だ。
もう20年以上前のことであるにも関わらず、今も鮮明に覚えている。
「ヤキュウ」「ナガシマ監督」「マツイ」「オチアイ」「クワタ」という単語とともに。
(あと、父親が「タツカワがどうのこうの…」とブツブツ言っていたことも)
みんながこんな楽しい状態になるのなら、僕も野球を覚えてみたい。ただ、おそらく自分ではプレーしないだろうけれど…。
そんなことを思ったことも、よく覚えている。
この日のことは、今後の人生のあらゆる場面で、立ち上がってくることになる。
その1年後、野球部に入部をして、自分で実際にプレーをし始めてから、この1994年10月8日という日に起きていたことは、とんでもないことだった、ということが徐々にわかるようになってくるのだった。
(つづく)
