2018.6.22 Ibaya Baseball Magazine(beta ver.)始動!

二回表「夏の風物詩へ」

二回表「夏の風物詩へ」

(この文章は、ある人から送られてきた手紙という形式で書かれています。)

 この夏も負けて終わりました。

甲子園に出場した地元の高校が、目の前でサヨナラ負けをしたのです。試合終了後に、御父兄さんたちのいるスタンドに挨拶をした彼らが泣いてうずくまる姿を見て、思わず私の両の肩がざわっとしました。それまで三塁側を強く照らしていた西陽が、だんだんとその眩しさを失って、選手たちの影も薄くなっていきました。その時、応援席からは、惜しみない拍手が贈られていました。その優しさが心に沁みたようで、球児たちの眼からは、また涙が溢れ出ていました。私はその姿を見て、これほど美しい青春の姿があるだろうかと思いました。不謹慎かも知れませんが、私は負けた選手たちの打ちひしがれる姿に心が魅かれます。二年半、いえ、それ以上に磨き上げた力を、最後の夏に出し切って、散ったのです。これほど爽やかな終わり方がありましょうか。私は球児たちに、彼らが放った力が、やがて誰かの力に、勇気や希望となっていることを知って欲しいと思います。花は咲こうとするときに手加減などしません。また、散るときも加減なく、ぱっぱっと散ります。目一杯に咲こうとしても、咲くことが出来なかったその姿にでさえ、切ない感動があるのです。球児も一緒です。彼らの涙が、私の心を潤しました。これこそ偉業だと思いませんか。彼らの全力、一挙手一投足が、人間の美しい輝きなのです。

よく憶えておいてください。

甲子園で優勝する一校を除けば、その他の高校は全て負けてしまいます。皆、勝つ時は飛び跳ねて喜ぶのですが、負ける時は膝が折れてよっぽど悔しい。必ずと言っていいほど、辛くて悲しい経験をします。それでも「また次、この次」と明日に向かって行きます。私はふと、「あれ、これって人生に似てやしないか」と思いました。だって、生きていると苦しいことや辛いことばっかりじゃないですか。夏は暑くて冬は寒くても、なんとか耐えていかなきゃならないでしょう。もちろん、その都度その都度で楽しいことも嬉しいこともたくさんありましたよ。でも、身体に残った傷痕と一緒で、痛かったことの方が人の記憶には残るものですよ。それは自然なことじゃないかしら。あなたはどう思いますか。

何のためにやるのでしょう。

「野球って、屋外競技で泥がたくさんついたり、怪我もしやすいし、おまけにお金もたくさんかかるのでしょう。それでも、幼い頃から甲子園を夢見て毎日毎日練習する子どもがたくさんいるじゃありませんか。甲子園って、もし出られても、万が一優勝したって賞金が出る訳じゃないでしょう。なぜそこまで必死になれるのかしら。」

このような考え方は、損得勘定にまみれた大人の考えです。

生きることに理由が必要ですか。

高校野球だって他のスポーツだって一緒です。皆が一生懸命になって汗水垂らすことに大した理由なんてありゃしませんよ。ただ、好きだから。誰かと寄り添っていたいから。喜びを、分かち合いたいから。言葉にすればこのくらいで、皆ほとんど無意識ですよ。これって生きることと似ていませんか。

私は高校野球を観ていて、その一連の流れに、人生の縮図のようなものを感じました。野球は“失敗のスポーツ”だそうです。高校野球でも、プロ野球でも、未だかつて負けたことのないピッチャーはいないし、全打席ヒットを打ったバッターもいない。誰もが必ず、不完全。失敗だらけ。ちょっとずつしか成功しない。だからこそ、そのミスをかばい合う。足りない部分を補い合える。一人で出来ることなどたかが知れているのです。いくら実力が飛び抜けた選手が一人いても、試合に勝つとは限らない。逆に、実力に乏しい選手たちでも、それぞれの力が見事に合わさると、想像以上の結果が出ることもあるそうです。いくら料理が上手に出来ても、その食材を育てる土壌と人、食材売場まで運ぶ人と売る人、そして美味しく食べて片付けてくれる人がいなければ、その人の才能と役割は何も発揮されないように私は思います。

失敗をどう生かすか。

私は人生で何度も同じ失敗を繰り返しています。人を困らせたり、泣かせたり。失敗に失敗を重ねるということは、最初の失敗を殺しているのです。もし私が失敗を生かすことが出来たなら、その失敗は今後、私を守る盾となるでしょう。「あの失敗があったからこその今」と肯定出来るようになります。その失敗を生かすという経験、その練習を、野球というスポーツを通じて身体で覚えていく。球児たちを見ていて、そう感じました。

なんだかお説教臭い話になってしまって、ごめんなさい。

最後に一つだけ。

私が甲子園を生で観ていて気づいたこと。それは、人間本来の美しい姿がそこにあったということです。それは球児たちの自己犠牲だったり、思いやりだったり、様々です。損得勘定を超えた、本質的な人間同士の温かみを感じました。百年以上、今もこれだけ多くの人が支えるものなのですから、きっと、人間として本当に大切なものが甲子園に詰まっているのでしょう。

是非、今度のお休みにご一緒出来たら嬉しく思います。

 

白球のキオクカテゴリの最新記事

ツールバーへスキップ