2018.6.22 Ibaya Baseball Magazine(beta ver.)始動!

二回裏「世界で一番爽やかに」

二回裏「世界で一番爽やかに」

8月5日。兵庫県は西宮市。天気は快晴。
阪神甲子園球場の外野席の奥の奥。どデカイアサヒビールの看板の下。小学生の椅子よりも面積が少ないのではないかという固い座席に腰を下ろし、うだるような暑さの中、一人固唾を飲んでいた。遠くから聞こえていた救急車の音がだんだん近づいてくる。皆んな声には出さないが、またか、と思ったような表情だった。早朝から長蛇の列を作って開場したこの球場には、おそらく40000人以上の人が詰めかけている。陽射しが強かった。風が吹かない時は、そこにいる40000体の身体が熱気を取り込んで空間を維持している感じがした。色々なことが大丈夫なのだろうか。この環境に慣れない私だけの心配か。いやそんなことはないだろう。注意力が散漫になって、ぼーっと仕掛けた頃、上空からヘリコプターが飛んできた。ばばばばばばばば。整備された緑が美しい外野の真ん中を目掛けて、記念ボールが落とされた。ひらひらひら。ああ、キャッチしたい。いま、もうとんでもなく予想外の突風が吹いて、直角に方向を変えた球がこのアサヒビールの看板に直撃して力なく落ちたところに、たまたまいた私がふわっとシータを抱きかかえるようにキャッチしたい。そのくらい、意識が朦朧としていた。ぽとり。きれいに球場の真ん中にボールは落ちた。歓声が沸き起こる。ああ、栄冠は、君に輝く。100回目の甲子園が開幕した。

7月初旬の沖縄県予選から始まった夏の全国高校野球選手権大会。記念すべき100回目の甲子園を目指して、全国各地で一発勝負の青春を賭けた闘いが繰り広げられた。予選から波乱が相次いだ。まず、西日本を集中豪雨が襲ったことにより、九州、四国、中国地方で大会の中断や開始が大幅に遅れた。災害に見舞われた球児並びに、球児を支えるご家族の皆さんには、改めてお見舞い申し上げたい。

それにしても、30年間生きていて、ここまで甲子園を予選から追いかけたことはない。「100回記念大会ですから!」と100回くらい叫んで燃え尽きている。皆さんご存知の通り、今年の夏はとにかく暑かった。生半可な気持ちで観戦に行くと暑さで野垂れると思って、結局、地方予選は神奈川と新潟の二県で合わせて10試合も観られなかった。連日の猛暑で一日に一試合しか集中して観ることが精一杯で、観客席側で選手を追いかけるマスコミやスカウトたちの苦労も少しは分かった気がする。一度に2〜3時間もジッと座っているのはキツい。高校野球は全て一発勝負の闘いなので、どんな結果になるか蓋を開けて見なければ分からないことが多い。

『日本一の下克上』で盛り上がりを見せた三重県の白山高校野球部。一昨年まで10年連続で初戦敗退だったにも関わらず、現3年生部員が主軸となった昨年は3回戦進出、今年は一気に県を制覇した。監督が読売ジャイアンツの上原投手と大学時代の同期ということや、高校野球を愛する女性部長が選手を支えていることでも注目された。実は、今年の三重県代表の本命は、春のセンバツ甲子園でベスト4に入った三重高校であった。しかし、初戦で後に決勝まで勝ち進んだ松坂商に敗退。正直、このニュースこそ「日本一のまさか」だったと思う。

私は常々「夏の大会は総合力」だと豪語している。
野球というスポーツはどうしても投手の力によって試合の展開が左右されやすいため、特に成長期の学生たちには投手力が鍵となる。しかし、ここ数十年の歴史を振り返っていると、高校三年最後の夏ともなるとウェイトトレーニングの効果もあって身体もガッチリと仕上がってくるため、投手だけの力では勝ち上がることが難しくなってくる。現在、メジャーリーグで活躍している大谷翔平選手も、高校三年の夏には決勝で二本のホームランを打たれて姿を消している。準決勝で球速160キロの高校記録を作ったにも関わらずだ。そのような結果も踏まえて、どれだけ秀でた才能を持つ選手がいたとしても、一人だけの力では勝ち上がれないのが、夏の鉄則だと思っている。

記念大会の魅力は、参加校が増えたことも大きい。
毎年夏の甲子園には47都道府県から、高校数が多過ぎて東と西に分けた東京都と、南と北では距離が遠過ぎる北海道から二校ずつ、合わせて49代表が出場することが出来る。それに対して100回記念大会は、高校数が多く、例年激戦が繰り広げられている神奈川、埼玉、千葉、愛知、大阪、兵庫、福岡から二校ずつが代表となり、一気に56代表まで枠が広がった。こうなってくると、甲子園にいくまで一試合するのが減るだけでなく、地区によっては強豪がぶつかり合うケースも出てくる。実際、北大阪大会の準決勝では、結果的に本年の春夏連覇を達成した大阪桐蔭が、履正社に最終回の二死まで追い詰められながらも辛勝したケースがあった。両チームは昨年の春のセンバツ大会の決勝でもぶつかるほどハイレベルなチームだ。そのような“潰し合い”もあって、南大阪代表には、久しぶりに近大付属がなった。

私が今回、全国各地区のデータを集める中で一番驚いたことは、大阪を中心とした関西出身の選手が、多くの地区の代表選手となって活躍していることだった。「この県の代表にも大阪出身、あらここにも。どんだけ良い環境で野球しているんだろう。ここは兵庫県代表のチームの相手に、兵庫出身の投手が投げている。どんな気持ちなんだろう…」みたいなことが多々あった。この背景には監督がただ実績のある人というだけでなく、そもそも関西出身の強豪で指導した経験のある人だったりする。例えば、長野県代表の佐久長聖の監督は、私と同世代でメジャーリーグで活躍する前田健太投手が大阪のPL学園(現在、色々あって休部になっている)で現役だった時に指揮を執っていた実績がある。よって、佐久長聖には関西から選手が集まり、気持ちPL学園がまだ生きているかのようなチームが出来上がっていた。私のような熱烈な高校野球ファンにとっては、桑田・清原のKKコンビの伝説もあるので感慨深い(まだ生まれてなかったけど)。鳥取や島根など、過疎化や少子化が著しい地域では、地元の球児自体が少ないこともあるのか、まるごと関西出身の選手で出来上がることが最近はよくある。

野球留学については、賛否両論が半端なくある。
特に昨年まで熊本県の秀岳館高校は、現在の県岐阜商の鍛治舎巧監督の指揮のもと、一気に甲子園の常連校にまでのし上がった。しかし、鍛治舎監督が大阪の枚方ボーイズという全国屈指のシニアチーム(中学生の硬式野球の名門)で指導していたこともあり、彼を慕って熊本に関西出身の選手が流れた。この事によって、秀岳館が甲子園に出場した際に、選手への心ない言葉が相次いで飛んだ。この時、主将を務めた選手は「俺たちは甲子園に来てはいけなかったのだろうか」と深刻悩んだそうだ。熊本で災害があった時、一時的に実家に避難して全体練習もままならなかったけれど、甲子園に出ることが出来た。「少しでも地元の人に喜んでもらいたい」彼らの気持ちを私たち大人は汲んであげることは出来ないだろうか。

そもそもで、日本の高校野球は注目され過ぎているスポーツだ。どこかの誰かが「じゃあ学校の成績が一番の子どもが、県外にある全国一の高校を目指してはいけないのか」みたいなことを言っていたが、最もである。おそらく、どの部活動よりも管理が厳しく、一度の過ちで選手だけでなく、部全体が活動自粛にまで及ぶ競技はないのではなかろうか。私はジャーナリストでも何でもないので、本当に詳しいことまでは分からないが、ここまで高校野球が良くも悪くも注目を集めてしまう要因は三つあると思う。

一つは、歴史だ。
それこそ、米騒動と戦争の間は開催されなかったが、甲子園には100年以上の歴史がある。それだけのたくさんの元高校球児がいたことになるし、今でも各地方の予選で球場に足を運ぶと、高齢者が大勢観戦している。これは母校の応援だけでなく、高校野球自体が好きで観に来ている。もちろん、学校単位で応援に来る高校も多いので、最早学生たちの行事レベルで浸透していることは間違いない。

 

二つ目は、メディアだ。
新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、インターネット、もの凄い速さで情報が行き渡る現在。メデイアが煽れば煽るほど注目度は増す。いくらスマートフォンの普及率が上がったとしても、テレビや新聞から情報を受け取る人は、特に高齢者にとって少なくないだろう。同時に二つのチャンネルで同じ試合を放送するスポーツなど、高校野球かオリンピックくらいしか日本にはない。これらの媒体は、甲子園で生まれる“感動”を主に取り上げて情報を発信をし続けている。

三つ目は、教育だ。
皆さんは甲子園の試合が始まるときと終わるときにサイレンの音を聴いたことがあるだろう。その音が鳴り響く中、帽子を取ると全員丸坊主の男子たち。最近では選手生命を懸念して少なくなってはきているが、投手が力尽きるまで投げ抜く姿や、自己犠牲の精神を強く打ち出す選手たちが他のスポーツよりも多く見受けられる。これらは戦争の名残りであるように私は思っている。昭和初期の第一次、第二次世界大戦の背景もあって、その時の富国強兵モードの教育が姿形として根強く残っているのではないか。逆に、それが戦争を忘れないためのサイレンにもなっているとも思う。誤解されると困るのだが、私はここで高校教育における善悪の話をしたいのではなく、あくまで高校野球が注目される要因を勝手に考察しまくっているだけである。

完全に長くなり過ぎたし、固くなり過ぎた気がする。
本当はそんな大人の事情とか経済のことなどどうでもいい。
何気に私も一夏を高校野球に突っ込んでいるので、だいぶ熱気が帯びてしまって一気に言いたいことを書いてしまった。正直、この回では書き足りないくらい話のネタはまだまだある。とにかく、私は高校野球の取材をしまくってきて、何が一番言いたかったのか。それは、高校野球が素晴らしく爽やかなスポーツだということだ。グラウンドで輝かしく躍動する選手。レギュラーを外れても最後まで選手を支える球児たち。その球児たちをずっと支えてきた家族。直射日光を浴び続けながら応援する応援団に吹奏楽部にチアリーダー。全ての終わりが爽やかだ。敗れて泣き崩れる姿には毎回胸が震える。美しい。そんな彼らを見ているだけで胸がすーっとしてくる。自分の青春を思い出すだけでない。人間本来の姿が、美しく生きる姿勢の原型がここにある気がする。小賢しい打算的な損得勘定の一切を超えた、人間の美しさが高校野球にはある。だから私は何度も甲子園を目指す。いくつになっても甲子園を目指す。そして、来年の夏こそは、あなたを甲子園に連れて行きたい。

コラムカテゴリの最新記事

ツールバーへスキップ